信じるという学び

『信じるという学び』

先日、友人と食事をする機会がありました。

食事を楽しみながら、お互いの近況を語り合うほっとする時間。

しかしその対話の中で、友人がふと母親としての葛藤と心配を口にされたのです。(※今回のエピソードは、友人に大切な気づきをいただいたお礼と共に、了承を得て書いています)


その方は、お子様が小さい頃から、あるスポーツをずっと続けさせてこられました。

大学にいたるまで、青春のすべての時間をその競技に捧げてきた我が子。

友人は、その歩みをずっと見守ってこられました。

けれど、お子様が大きくなった今、彼女の心にはある一つの影が落されていたのです。

「幼い頃からこれだけしか経験させてあげられなかったような気がする。そのせいで、この子の将来の可能性を、私達親が狭めてしまったのではないだろうか?!」

それは、子供を愛し、その幸せを誰よりも願う母親だからこそ辿り着いてしまう、切実な心の声でした。

でも、友人の言葉を静かに聴きながら、私の内側にはまったく異なる景色が広がっていました。

「いいえ、決してそんなことはない。可能性が狭まったなんていうことはないのではないか」と、私の中で確信のようなものを感じていました。

私たちはつい、目の前で起きている「不自由さ」や「ままならなさ」という、一つの側面だけを見て、それがすべてであるかのように勘違いしがちです。

けれど、物事を一面だけで捉えてはいけないのではないかと思うのです。

人生における逆境や、思い通りにならない苦しみを経験するということは、違う視点から見れば、それは人生における本当の「豊かさ」を受け取るチャンスを与えられていると私は思います。

過酷な環境や厳しい現実に直面し、それを乗り越えてきた歩みそのものが、その子の内面に圧倒的な深みを与えていく…。

その体験こそ、他の誰よりもこの世界を多様な視点で、豊かに楽しむ力がすでに育っているはずだと。

外側から見れば「一つのことしか経験していない」ように見えても、その内側には、何物にも代えがたい強さと、自分自身と徹底的に向き合うという、人生における最高のギフトがすでに与えられていると思います

苦しみを知っているからこそ、これから先の人生で手にするものの本当の価値に気づき、活かしていくことができる。

物事のもう一つの側面にある真実に目を向けたとき、それは決して、可能性が狭まった姿などではないと確信できると思います。

相手を大切に思うがあまり、過剰に心配しすぎてしまうとき、私たちの心の境界線は少し曖昧になり、無意識のうちに相手の領域に深く入り込んでしまうことがあります。

これを憑依という言葉で表現されることもあるようです。

(私はこの言葉は好きではありませんが…)

憑依は、重たいエネルギーのように思います。

私たちの放つ「想念」もまた、ひとつのエネルギー。

そしてそのエネルギーは、目に見えずとも確かに相手へと届きます。

「あなたが心配だから、私が見守ってあげなきゃいけない」

「私の選択のせいで、この子が立ち止まってしまうかもしれない」

と、心配の念を送り続けることは、相手を想う気持ちの中に、知らず知らずのうちに自分の不安やエゴを重ねてしまっていることもあるのではないでしょうか。

それは、時に自分自身の心をも疲れさせ、お互いのエネルギーフィールド(オーラとも表現されます)を重たくしてしまったり、その色をくすませてしまうこともあるように思います。


もちろん、これは誰かを責めるための言葉ではありません。

なぜなら、他ならぬ私自身もまた、大切な人に対してつい心配しすぎてしまう癖を持っているからです。

(反省の日々)

心配性の心の葛藤は、私の中にも大きな課題として常に在り続けています。

私は、この癖を手放してもっと軽やかでありたいと感じています。

だからこそ、これは友人に正論を振りかざすためではなく、私自身が日々の在り方を見つめ、自分自身に深く言い聞かせるために、今こうして言葉を綴っているわけです。


私たちは、つい「何かをしてあげること」だけが愛だと思ってしまいがちです。

けれど、本当に大切な愛の形とは、手を差し伸べることではなく、そっと手を離して見守ることだと思います。

心配の代わりに、相手の持つ力を「信じる」という愛のエネルギーを送りたいなと思います。

霊界、ハイヤーセルフ、ガイドスピリット達は、私たちが苦難の渦中にあり苦しんでいる時に、いつもこう伝えたがっています。

「あなたが成長しようとしていることを祝福していますよ」と。

(ドSとかではなく)

目に見える苦しみという側面の裏側で、魂は今、大いなる存在たちに見守られ、祝福されながら、新しい自分へと生まれ変わろうとしています。

そのお子様がこれから成長していかれること、そしてそこで逆境と共に学び得たものをこれからの人生に活かしていく力を、私たちはただ真っ直ぐに、彼らと同じ視点で「信じる」だけでいいのだと思います。


親子であっても、一人の対等な魂同士です。

お互いがそれぞれの足で自分の人生を受け入れ、一人の人間として向き合い、信じるという愛のエネルギーで包まれていく。

本当の意味で大人になるとは、そういうことではないかな?!と私は思うのです。


こんなふうに、なんだか偉そうなことを述べてきましたが…

私自身まだまだ未熟者で、学びの旅の途中です。

教え諭す関係ではなく、私のところに来てくださるお客様や、大切な仲間たちと共に学び、共に成長していこうと思っています。

その歩みの先にある、私たちの魂が目指す「成熟」へと向かって、これからも日々の気づきを大切に歩みを進めていこうと思います🍀


私が実践しているアサーション(自己宣言)を書いておきます💡

↓↓↓

不安や心配事など、マイナスなエネルギーの波に飲み込まれることを拒否し、自らの意志で明確な境界線を引きます。

これは、願望を自分に言い聞かせるようなアファメーションとは違うものです。

外側の状況や突発的な感情に振り回されず、自分が自分の人生の主権を握り直すための、毅然とした意思の表明です。

不調和なエネルギーを察知した瞬間、私は自分の領域を守るために、明確にこう宣言します。


不安に襲われたとき…

心配事で落ち着かなくなったとき…

「それは私のタイムラインではありません!」

「それを体験することを許可しない!」「その思考は私のものではない!本来の場所へお返しします!」

このように自らの在り方をその場で決定し、境界線を引くことで、意識は瞬時に本来のあるべきところへと戻ります。

外側の波に飲まれることなく、自分の人生に責任を持って、自らの力で誠実に道を切り拓いていくこと。

このアサーションは、私が私らしく歩み続けるための、心の軸となっています☺️